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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

我慢するということ

我慢するということ

「最近の子供は我慢が出来ない」
「その理由は、正座をしないからである」

という話を聞きました。

私の子供の頃は、食卓は当然座卓です。
ご飯の時には正座して食べるようにと言われました。

ところが、最近の日本の住宅には正座する場所があまりありません。

休憩するリビング、食事をするダイニングキッチンには
当然畳はありません。

寝室もベットを入れたら畳は必要ありません。

当然子供部屋などもフローリングにしたら、
正座できません。

あるとしたら、客間?仏間?ぐらいでしょうか?

畳屋さんが仕事がなくなったと嘆くのも無理はありません。

何しろ、葬祭場はもちろんのこと、お寺の本堂でも椅子が
用意してあることが珍しくなくなりました。

正座の機会は確かに減ったといえます。

正座をしないから我慢が出来ないというのは
どうでしょうか?

正座は、我慢するためにするものでしょうか?

確かに、法事や葬式ではそうかも知れませんが(苦笑)

ところで、我慢という言葉は、仏教用語だということを
ご存知でしたか?

さらに、もともとの我慢というのは

「自己の中心に我があると、その我をよりどころにして
心が驕慢であること。おのれを頼んで心が驕る煩悩。」

すなわち「自分に執着することから起こる慢心」で
悪い意味です!

それが「我が強い」ということで「負けん気が強い」などを
意味するようになり、次第にがんばりが聞くこと、
辛抱することを意味するようになりました。

元へ戻りますが、正座をしたところで、
我慢できるようになるわけではありません。

ただ、日本では正座は作法として
定着してきました。

畳の生活から離れることが増えたからこそ、
たまには正式な作法で座ることも
必要なことのように思われます。

最終更新日 2008年10月06日


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